Program for EU-Japanology Education and Research(PEJER)
テレビ会議(ドイツ・デュッセルドルフ大学)
 
 
 

日時: 平成21年12月22日(火)17:00-18:30
場所:関西大学 総合研究室棟2階 オープンスペース

テーマ:映画『おくりびと』
内容:映画『おくりびと』を通してみる日本の葬制と死、またその日独比較

Ⅰ. デュッセルドルフ大学の発表(17:00-17:45)

17:00-17:15
  発表者:Sabine Krings(デュッセルドルフ大学)
17:15-17:20
  コメント:ジェシカ・ヤコブ氏(慶応義塾大学大学院修士1年)
17:20-17:45
  デュッセルドルフ大学側からの進行による質疑応答


Ⅱ. 関西大学の発表(17:45-18:30)

17:45-17:55
  発表者:多田 正生(関西大学大学院修士1年)
  ディスカッサント:ジェシカ・ヤコブ氏
  司会:﨑山 円(関西大学大学院博士1年)
17:55-18:05
  ジェシカ・ヤコブ氏により発表内容に対するコメント。
  ドイツの埋葬事情について述べてもらい、日独比較を試みる。
17:20-17:45
  関西大学側からの進行による質疑応答



発表内容詳細:

 英語では『Departures』、ドイツ語では『Nokan-Die Kunst des Ausklangs』(納棺-終幕の技巧) と訳されている。この訳には、日本人の故人に対する想いを見ることができる。

1.死者を送るということについて
 火葬場職員が親しかった故人に「また会おうの」と呼びかける(チャプター22「死は門」)。ここに英語で
『Departures』訳される日本の死生観が伺える。また、火葬場に関連して、臨終から埋葬までの流れと日本における火葬について。

2.故人を美しく送るという想い
ドイツ語で『Nokan-Die Kunst des Ausklangs』(納棺-終幕の技)と訳されるように、『おくりびと』で、納棺は非常に美しく表現されている。特にチャプター11「永遠の美」から見た死に化粧の重要性を考える。

3.日本における土葬と新しい供養
現在日本では、火葬の割合がほぼ100%を占めている。その為、日本では土葬できないと思われている場合が多い。また散骨、手元供養など埋葬以外の供養を望む人が増えてきている。こうした状況から起こる問題について。


TV会議の様子 TV会議の様子 TV会議の様子

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発表報告

 今回で3回目となるテレビ会議は、映画『おくりびと』を通して見る日本の葬制と死、またその日独比較という内容で行われました。初めに、ドイツ・デュッセルドルフの学生からの発表、ディスカッション。その後、関西大学から、私、多田正生の発表、ディスカッションという形式で行われました。
まず初めに、映画『おくりびと』の感想とドイツの一般的な葬儀について発表がありました。『おくりびと』の中で特に注目した場面は納棺の場面で、こんなに美しいものなのかという疑問と、何より遺体と接していることが多いことに驚いたという意見がありました。ドイツの葬儀はキリスト教で行われ、土葬されるのが一般的であり、死後は葬儀会社が納棺をし、その後個人の顔を見ることは滅多にないということでした。
ディスカッションでは、デュッセルドルフの学生から、実際の納棺を見たことがあるか。そして『おくりびと』で表現されている「納棺」は美し過ぎるのではないか。という質問がありました。しかし、関西大学の学生の中に葬儀に出席をしたことがあっても、実際に納棺を見たことがあるという学生はおらず、実体験として納棺の場面を語ることはできませんでした。
また、ドイツの葬儀では納棺後は、葬儀を通して故人の顔を見ることが滅多にない。という話を聞き、関西大学の学生から顔を見ずに葬儀が行われるのではお別れができないという意見がでました。それに対し、デュッセルドルフの学生は、見てしまっては悲しくてお別れができないという意見があり、考え方の違いが表れました。

 次に、『おくりびと』に見る日本人の死生観として、『おくりびと』が英語では『Departures』(旅立ち)、ドイツ語では『Nokan-Die Kunst des Ausklangs』(納棺-終幕の技巧)と訳されていることに着目し、発表をしました。『Departures』(旅立ち)に訳される日本人の死生観として、劇中の、故人にまた会おうと声をかける場面を取り上げ、死を旅立ちとする日本人の死生観と、臨終から火葬されるまでの一般的な流れを発表しました。そして、『Nokan-Die Kunst des Ausklangs』(納棺-終幕の技巧)と訳されている故人への想いを劇中の死に化粧の場面を用い発表しました。
ディスカッションでは、日本とドイツの遺体の扱い方の違いがテーマとなりました。日本では、死体ではなく遺体という言葉を使うように、故人、遺体に敬意を持って接します。しかし、ドイツでは死後、遺体は葬儀会社に任すことが多く、悲しいけれど、葬儀まで遺体がどこにあるかには拘らないようでした。また安置場は屋外にあり、日本人から見れば、あまりにも簡易なものに感じ、学生からはこんな場所に遺体を置いているなんて考えられないという声が上がる程でした。
今回のテレビ会議で最も興味深かったのは、このような日独の遺体の扱い方の違いではないかと思います。こうした遺体の扱い方について、ディスカッサントとして参加して下さったドイツ人留学生のジェシカ・ヤコブさんは、「日本人の様に、遺体に敬意を持って接する方が人間的だと思う。」とおっしゃって下さいました。今回のテレビ会議で、日本人の死生観を少しでも伝えることができ、また、ドイツの視点からの考え方を知ることができた、有意義な会議であったと思います。

多田 正生(関西大学大学院修士1年)

 


 
 
 
 
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